もらとりあむ

だいたいが曖昧、

ひとりでもふたりでも

今年も残すところ僅か半年、半年もないくらいに迫ってきているのか、とても早いな。一年が本当に瞬殺で過ぎていくように感じる二十代後半に差し掛かるとそういうものなのかもしれない。これは二十代後半だけに与えられる特権なのかもしれない、こんな特権いらないし、誰も嬉しくないんだよ。

ここ数日、比較的健康に過ごせていると思っていた。精神的な意味で。精神衛生がかなりいい状態だと自覚をしていた。いたんだけど、まあまあ長い付き合いの友達と連絡が取れなくなった。急にフォローも外されていた。これこそ、やや大げさだが、青天の霹靂ともいうべき衝撃がのしかかって来た。それくらい、まあまあ仲良くしていたつもりだったのだ。その関係性も曖昧ながら、この心の安寧を保っている一部でもあったはずだった。

私は、今年に入ってから、人間関係の身辺整理なるものをしておりこれで3回目くらいだ。2回目までは、自分の意思に沿って施した決断であったわけで、3回目は急に相手から切断を余儀なくされたのである。まあでも、今思い返すと至るところに伏線は張られていたような気もする。

ただ、先ほども申した通り、もう二十代後半にもなったというのに、こんな学生のような人間関係の悩みを抱えていくのはもうこりごりだと強く痛感。これは逆にいい機会だったのかもしれない。相手にとっても、私にとってもいらない縁だったのだ。生きていれば人は成長する、前進する。人によっては、後退することもあるかもしれないが、大半は前に進んでいくので自分の中で色々な変化が訪れるはずなのでこれはいたって普通の出来事だと考えれば、なるほど私も成長しているんだな、発展途中なのだな、と自分を肯定することに徹することが可能である。そうした方が、ずっと精神的に良い。特に私は、舐められやすく、すぐそのことでクヨクヨしてしまうのでこれはいい考え方であると思う。

二十代後半ともなれば、もっと大人だと思ってた、とっくに結婚していると思ってた、他人との距離感が上手くなっていると思っていた、など数年前まで当然と描いていた像には到底追いつけていない。でもみんなだいたい、そうだと思うんだ。

これでも実に客観的に考えることができるようになって来た。

 

ひとりでも大丈夫、ひとりの方が気楽だし精神が落ち着いている。そうは思えど、やはり怖い夢を見たとき、くだらない話を思いついた時、美味しいものを食べた時、隣に伝えられる人間がいたらどんなに救われるだろうと、ひとりの良さも複数人の良さにももれなく、ないものねだりの欲求が覗かせるが、ふたりになってもひとりで生きれるくらい、受け売りだが、強く逞しく生きていたいものだ。